21/02/20 冬と春がくんずほぐれつ
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摩滅のイズム
当世に瀰漫するイズム(主義、説)の系統、共通観念のひとつは摩滅である。万象のすり減ってなくなる、費消するという物理の一側面に異常にフォーカスした摩滅のイズムがもはや文明社会のイズムとなり果せている...
「社会」は本来的には、そこに生きるすべての世代の混淆の時間と空間、基準と機能のことであり、有機的なものであるがゆえに、有機的基準としての平衡感覚あるいは中庸を、歴史のなかに明示的かつ暗示的に、サブカルチャーをも包摂しつつ「文化的なるもの」として内蔵してきた。しかし、それをゆるさないのが摩滅のイズムである...
瞑想ではない、目を閉じず、なんとなく受け入れる「明想」に私自身の道を観る。
知性もまた肉体に縛り付けられたものである。
アシスタントの、多くは女性のその扱い、役付けに、女性は腹を立ててもいいのではないか。
ネット界隈の「炎上」なるもの、その多くの「火口」は「怨情」であろう。
文明の冬には、言の葉も死にいたるようだ。言の葉は「病葉」となり、会話や社交といった営みも、児戯に類する営みとなった。
マスクから鼻をモロ出しにして「ウレタンマスクはまるでダメだ。飛沫を防げやしない」と語る人を見ていて、これは新しいマスクの誕生だと思った。
人は実体、実質や内容が顕われる前、生まれると同時に「名前」がつけられる。そこから「名前負け」というエラー(誤差)が生じてしまう。
「水」という観点から「わたし」というもののスケールを再考してみる。
言葉の一部が「てれこ」になっていることを放置するというのはいかがなものか。
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