21/06/07 人世はカネの流れに浮かぶ病葉である

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イメージを吸ってラリる社会
イメージを吸ってラリる社会

オリンピックの騒ぎのなかで「スポ根」を称美する声が正論然として大手を振っているのをみれば、あながち冗談でもないのだろう。「スポ根」はもはやジャパニーズ・ドグマ、イメージであり「空気」である。


イメージがあらゆるものをラッピングする。ウイルスを、平和をラッピングし、あらゆるものを平板化させ、立体性を消しさる。


「平和の祭典」などというのも、まったく歯が浮くような言葉である。「平和の祭典」ならぬ「平和の茶番」が人類のお家芸であることは、歴史が証明しているではないか。たとえば、スポーツではなく音楽の世界においては、1985年のUSAフォー・アフリカによる『We Are the World』は、その平和的メッセージも、曲としても素晴らしいものだった。しかし実際には...

それは目が、外に向かって突き出た脳の一部であるから、赤裸な器官であることを免れえない。

師だの先生だの「メンター」だのとよばれていい気になって安請合いし、下手な者に敬仰などされた日には、知らぬ所で恥をさらすことになる。

「smart」というより「smattering(なまかじりの知識)」が言い得て妙であろう。

「独りになりなさい」。昏冥の出口は、独りでなければ抜けられない。

トレンドに蝟集することは、じつに恥ずかしいことである。なぜならそれはガウス分布において大勢を示す0σあたりの表象だからである。

人工甘味料の愚を語る。

瞑想ではない、目を閉じず、なんとなく受け入れる「明想」に私自身の道を観る。

知性もまた肉体に縛り付けられたものである。

アシスタントの、多くは女性のその扱い、役付けに、女性は腹を立ててもいいのではないか。

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自らのデザイン×センスを娯しむ。素娯録ブックスは、心にキラリときたものを本棚のように置いていきます。

価値やサービスを作り出し、「デベロッパー側」や「デザイナー側」として「発信」するには、スマホよりもやっぱりPC(パソコン)。