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原稿用紙一枚、400字以内で書く四方山話。

瞑想ではない、目を閉じず、なんとなく受け入れる「明想」に私自身の道を観る。

知性もまた肉体に縛り付けられたものである。

アシスタントの、多くは女性のその扱い、役付けに、女性は腹を立ててもいいのではないか。

ネット界隈の「炎上」なるもの、その多くの「火口」は「怨情」であろう。

文明の冬には、言の葉も死にいたるようだ。言の葉は「病葉」となり、会話や社交といった営みも、児戯に類する営みとなった。

マスクから鼻をモロ出しにして「ウレタンマスクはまるでダメだ。飛沫を防げやしない」と語る人を見ていて、これは新しいマスクの誕生だと思った。

人は実体、実質や内容が顕われる前、生まれると同時に「名前」がつけられる。そこから「名前負け」というエラー(誤差)が生じてしまう。

「水」という観点から「わたし」というもののスケールを再考してみる。

言葉の一部が「てれこ」になっていることを放置するというのはいかがなものか。

現代の過剰の自動症に罹った人間の、知的に、精神的に、病的なフォアグラ状態にあることの悲愴さは、ガチョウや鴨の悲愴と変わらない。

惰弱な者は、コストというかたちでその惰弱を埋め合わせることになる。

本題に割り込んでくる広告がいかに煩わしいものか、わかってんじゃねえかと。

中学生の集う放課後の教室に、いい年の大人がいて退屈するのは自然なことだ。

光(電磁波)もまた言葉に似て、「うら(心、己)」に干渉する位相を作り出す。だから私は、言葉を使い分けるように、光を使い分ける。

15秒であっても視聴に堪えるものは2%あるかないかという印象だ。

貧困は自然のものではなく、人間から発生したものだとはネルソン・マンデラの言葉だが、「弱肉強食」も人間から発生したものだ。

各人のスマホを介し、日本各地の天気を現地レポートとし、一次情報を集めてできる「知らせ」は「予報」ではなく、これ「実況」という。

JRの駅にある、あの黒いレザーふうの椅子は、どうしてあんなにも座り心地が良いのか。

無知の知に浮かべる、試験文。

「老古錐」――「円熟」や「熟成」が空語となった、老いも若きも若造化する青臭く阿呆らしい社会。

もはや新型コロナウイルスよりも議論のホットスポットとなっているかもしれない「鼻出しマスク」。人はなぜマスクから鼻を出してしまうのか。

2020年も残すところわずか。私がこの一年の世間を象徴する一字を選ぶなら「頽」。私自身へ贈るなら「潔」。

全体をかえりみぬ専門性(縦割化)によって意味や価値の統合がなされず、流失しつづけるだろう。財も、知も、気も、生も。

内在する逆理や脈絡を読み解く能力のなさ、知的センスの著しい退歩が陰謀を生み増長させる。

人間関係がめんどくさい、ストレス、疲れたと感じるのなら、川遠(かわおち)に割くエネルギーのパーセンテージを見直そう。

住宅ローン完済年齢:平均73歳(という危険行為)はなぜ起こるのか。そこには「感じる知性」の欠如があるのではないか。

生命の徴(しるし)とは何なのか。人間の徴とは何なのか。己の徴とは何なのか。感じ、思い、考え、覚り、自分なりの答えを出す待ったなしの時。

ポストコロナとは是が非でもビフォーコロナにもどすことなのか?経験から学ばないことの加速。

2020年に開館した「宝塚市立文化芸術センター」に行ってみて感じたこと思ったことをレビュー。

およそ「イノベーション(革新)」なるものが労働節約的・労働分配率の低下を推し進める技術であるのに盲目的にイノベーションを礼賛するマスマン。

「騒擾」――すなわち塊となった凡俗(マス)のなかでジャーゴン(珍紛漢な隠語めいた用語)がカラスの騒ぎのごとく飛び交うのである。

「同調は安心、でも、同調は苦しい」という分裂病は、かつての「村社会」というより「昭和」の捻れの葛藤ではないだろうか。

「ニューノーマル」の本質は「不確実性の増大」。「ダイナミック・ケイパビリティ(Dynamic Capability)」が戦力指数となる時代。

人類は「オールドタイプ」のまま、40年以上が経った。現実人類の「一年戦争」は終わらない。『ガンダム』の奥深い世界に思い馳せる。

「言の葉」は「言の波(動)」で「事の波(動)」でもあると考える。「クラドニ図形」のように現実に作用し影響する「言の葉」について考える。

ある方面に感覚が鈍いことを「─音痴」というが、メカ(からくり)音痴はなかでも最悪の音痴ではなかろうかという話。

画一的な距離感から、めいめい好む距離感で過ごすことが許容されるきっかけとなるような「禁密」のなかから「蜜」を取り出すアイデアを。

大衆の雰囲気主義からの「雰囲気ディスタンス」。ウイルスや感染に関するデータや事実とはもはや関係なく情調、雰囲気によってとられる距離のこと。

現在を文明の季節でたとえるなら末期の季節であると、私は思う。実りの秋は過ぎ去り、外でなく内の実りをたよりに生きる冬の季節であると。

かつて昆虫少年はこう思った。擬態する虫はいかにして自ら周囲と同化しているさまを確認するのか。そして中年になったかつての昆虫少年はこう思う。

過ぎたるは及ばざるが如しは「情報」についても同じ。情報過多のストレスで頭が鈍くなる現代病とでもいうべき現象について考える。

新型コロナウイルス(COVID-19)によって変わる「距離感」と新しいレイアウトについて考える。

新型コロナウイルス(COVID-19)がトリガーとなって始まるであろう「感染症災害前提社会」、New Normalについて考える。

先のことなど完全にはコントロールできないという「当たり前」が欠落したとんでもない思考が生み出すとんでもないプラン。

お上が解禁と言えば、ボジョレー・ヌーボーもウイルスもみな解禁、飲めや歌えの大騒ぎ。危機管理なのか奇機管理なのか、もうわけがわからない。

日本はなぜこんなありさまになってしまったのかという思いを掘り下げると、そのありさまを支える「近代」という岩盤にぶつかった。

「危機」に際して発揮される火事場のクソ力の並々ならぬポテンシャルが、この国の庶民のなかから完全に枯れ果てたわけではないと信じたい。

およそ300年前から、たいしてなにも進歩していないという自覚が、最初にもつべき危機感かもしれない。

カセットテープは好率という情を移す媒体として、「効率」においては勝る「.mp3」より優れていると感じる。

「現実」が「融けはじめた」今は、けっこうおもしろい。映画『アバター(AVATAR)』にみる、人間にとっての「現実」を考える。

技術的進歩と価値的退廃で彩られた「退屈の柩」に封じ込められた現代。退化した価値の定義とその中身とは。

兵庫県西宮市にある門戸厄神(東光寺)で2020年1月1日から公開されている『厄神龍王』を見に行ってきた。

2020年になり、いよいよ「202Xサバイバル」が現実味を帯びてきた。2020年代冒頭でレーダーに映っていることについて考える。

人間の考える「完璧」など「思い込み」の「似非完璧」なのだから。もっと気楽に。

2020年になった。昔は「2020」といえば随分と先の未来に感じた数字だったが、年越しそばをすすって迎えたいつもどおりの新年。

2019年も終わり。これからの2020年代の眺望を、現在とこれまでの流れから総括的に考える。

80's~90's、ゲームの黄金期。その輝きを失わないレトロゲームを楽しむための理想のハードを、想像&構想してみた。

技術的進歩と価値的退廃で彩られた「退屈の柩」に封じ込められた現代。「言葉」の力で柩からの脱出を試みる。

世間の常識的生き方や価値観の俗悪さへの反発、批判も徒労に終わる現代を「風狂」に生きる。

山本太郎氏とれいわ新選組の上げた狼煙に思う、政治に求められる新たなセンスとは。

「不安定」には、じつは安定にはないパワーがある。それを私は不安定力と名付ける。

若者の未熟さには意味があった!?汎動物学的な視点から見る「若者の未熟さ」

メディアは自分で作る時代。メディアのシグネチャとなりIDとなるロゴの作り方のコツを紹介。

「体験できることを先に見せるあらすじ」として機能する、機能的サムネイルの作り方のコツを紹介。

没個性的なショッピングモールはもういらない!?これからの地域特化ショッピングモールの自由すぎるアイデア。

エネルギーを吸収され、奪われる、ぎすぎすした「エナジードレイン社会」から距離を置こう。

宮沢賢治の言う芸術家たる感受、個性の優れる方面に於ける止むなき表現の必要性の突端にいるのは、私たちロスジェネかもしれない。

福沢諭吉の言葉から考える「現代文明評」。現在の文明社会は文明の名に値せぬ社会「グロテスク・シヴィライゼーション」ではないのか。

「基準(criterion)錯誤」が事態を危機化させる。基準(criterion)の重要性と、これからを考える。

「力」の質は大きく2種類に分けて考えることができる。内発的に生起する力「パワー」と、外発的に生起する力「フォース」。

現代のテクノロジーでは人間のコミュニケーションを完全には移転できない。一周したパターン「ウロボロス」から、復古すべきものは何なのか。

日本では「新聞」にウソを書いても、7割の人はそれを本当だと信じるという、とんでもないデータが。

情報には「位置性」がある。片側へ偏ってしまった情報をニュートラルにもどすには「カウンター情報」がおすすめ。

残業月20時間以内なんてアピールは、1時間あたりたった7分の効率化もできないとアピールしていることになりませんか?

自分の余命は平均寿命ぐらいはあるだろうという根拠のない思い込みが、人生に無駄も幻想も連れてくる。

ワクワクのカギをにぎる、脳の「線条体」の話。

2兆円ちかい広告費が回収できるテレビという装置は、家庭の娯楽装置というよりも●●な装置。

文明の没落期に流行るものが二つある。一つは新興宗教運動の異様な高まり、もう一つは技術への異常な熱狂オズヴァルト・シュペングラー

今は人口減等、活性化の目処が立たたない地方も、今後はどう化けるか分からない。

本質は何一つ変わっていない。現在の状況はかつての「大艦巨砲主義」の焼き直しのようなものではないか。

マッスの飽和はやがて本質回帰へとUターンを余儀なくされる、デグレード(degrade)を往々にして招くものだ。

「世界」とは一体何なのか。その実体を、定義を明確にしないまま独り歩きする「世界」という言葉の怪しさ。

くじも世の中も、おおむねハズレで出来ている。民主主義もまた、「凶」ではないが「末吉」ぐらいのものだと思っていたほうがよい。

セールスレターやセールスコピーライティングの要点から「モノやサービスを売るコツ」を学ぶ。

グローバリズム(globalism)のグローブ(globe)は「球体」。しかしこの先、球乗り以上に不安定な未来と生活が待っているかもしれない?

日本は「老治国家」となり、老人がマジョリティとなりつつある今、老いのデザイン、老いの作法は老いる者の義務教育ではないか。

大阪府池田市にあるリノベーション長屋『菁菁苑(せいせいえん)』に立ち寄ってみた。良い感じで時を止めたような景色に、住処の理想を思う。

「群れ」の真義は種としての残存機会の維持。しかし実態は、凝集した個の恐れと錯覚である。その錯誤が悲劇を生む。

「スペックワーク」は「ワーク」ではなく「強制ボランティア」にすぎないということを語ろう。

「苔テラリウム」なるものを始めてみた。これはまさに地球の欠片、小テラ(terra=地球)だ。

不意に食べたい衝動に駆られる「カップヌードル」や「チキンラーメン」。その秘密を探るべく「カップヌードルミュージアム」へ行ってみた。

今この現代における最も重要な出来事は、私たちが人類史上初めて、自分自身を経営する責任を負わされることだP.F.ドラッカー

「嘆き」の内容は課題の内容、「変化と行動」へと昇華させてなんぼ。「不幸な常識人」より「幸福な奇人」たれ。

加速する予測不可能な世の中だからこそ、技術グリッドにも新旧の幅と漸進性が必要なのではないだろうか。

私は心の状態は「資産」だと思っている。だから「排心主義」、即ち「ブラック化」は、敗者の谷へ通じるのだと考える。

阻止限界点を超えて、巨大なインパクトが迫っている。そしてそれは「自己責任課題」だというのだから、まったく、もう笑うしかない。

辞書によれば「原始的」とは「素朴で幼稚なこと」という定義であるが、私の定義は「原始的と呼ぶ超越の川下」である。

この世は「センメルヴェイス反射壁」だらけである。多くの人間はそれらいずれかの「壁内人」であり、壁の素材は「無知と大勢主義」で出来ている。

明治より「和洋折衷」で走り続け、衰退の平成から令和に変わる今、東西の融合から古今の融合「古今折衷」へ。

色彩が「ない」というより、本質的なもののみに集中し「残す」、そんな引き算の美学のようなモノクロ写真が好き。

人が言語的動物(ホモ・ロクエンス)であるならば、言葉はその動物にとっての水であり空気であり、血液であり精神そのものであろう。

C C

「C」ではじまる、これから大きな意味を持ちそうなキーワードについて書いてみる。

四角錐という立体物だと見極めるには、複数の視点が必要であるように、事物はじつに複雑な立体物でもある。

ジオラマの魅力は「一瞬一所」に宿るエッセンス。

「Modern」と「exit」の混成語でモダネグジット。それは極度に模型化され、猿真似のドミノと化したマーケットからの離脱。

「毎日欠かさず」は意外にハードルが高い。そこで「週3」に変え、Easyモードのエンディングを目指すことから始めてみる。

ネットを使いこなすことで、入ってくるお金より出ていくお金が多いというのは、買う道である「下りの道」ばかりを歩いているということでもある。

「真剣」でないなら、努力なんて試みないほうがいい。「真剣」でないなら、やる前から諦めたほうが効率がいい。

地域の場末の酒屋の光景から、副業・複業にはニッチなアイデア×テクノロジーがやはり必要だと感じた。

サブスクリプション方式のデメリット「固定費化」について考える。

AI時代に必要なことは、人間がAIに仕事を取られないよう規制を作って籠城することより、どう共存していくかのアイデアやルールが重要ではないか。

「価値」と「相性」には密接な相関関係がある。相性を知り、活かす「バリューアップゾーン」で活動することの大切さについて考える。

ジャズはインディペンデント(独立)な存在で野暮ったく干渉しない。そんな「ジャズの振る舞い」が好き。

渾身の力で閉めても、バルブは1ミリ、また1ミリと日々動き、ゆるむ。諦めずバルブを閉め続けて終わるのが、心が勝利する人生ではなかろうか。

花に小宇宙(コスモ)を感じるようになれば、晴れて真の大人、「聖闘士(セイント)」の仲間入りだ。

京丹後の町を歩きながら「地域変異×テクノロジー」というアイデアに思い馳せる。

切り花一輪であっても、それは雄大な大自然の欠片。疲れた時は花一輪から力をもらおう。

「オサムシ」の「地域変異」という能力。これこそが、衰退する地方・地域のサバイバル戦略に必要なものではないだろうか。

「失敗」は「成功」の「過程現象」であって、成功の亜粒子のようなものである。失敗を確実にEXP(経験値)化するアイデア。

現代は不作や狩りの失敗で餓死に追い込まれるリスクが減った反面、「食」に対して胃袋だけでなく「頭」も使う必要がある。

6m×4mのスペースで、タイニーハウスの間取りを考えてみた。

過渡期の喧騒と停滞の期間は、エネルギーを外に向けたエクスプロージョンではなく、内に向けたインプロージョン型のスタイルへ。

ゲーム機の実力はスペックじゃない。ソフト(コンテンツ)こそがゲームであり娯楽であり、プレイヤーを楽しませてくれる実体だ。

本気になれない人間を相手にするより、本気になれるウィスキー。

SNSやブログを「丸太」とするなら、本は「橋」。到達可能な距離がまったくちがう。本のチカラはやはりスゴい。

自分好みにソートされていない情報ゾーンに入る。外部機能の「検索」を制限、「直感」に負荷をかける。身体機能としての情報収集能力をフルに使う。

ビッグデータをさらにマッチングに活用できれば、世にあふれるアンマッチ、ミスマッチを大きく減らしてくれるのかも?しれない。

アラフォーからのお花見は、がっつり食べるのも騒ぐのもとっくに卒業。年に一度の桜の艶姿、ちゃんと愛でながらしっとり楽しむ。

引っ越しで失敗したことのある筆者が、引越し後の生活幸福度に関わる「引っ越しに失敗しないためにやること」をまとめてみた。

日本は今、ダウンヒル(下り坂)であるならば、ダウンヒル・チューンナップで軽快に下るのみ。

快楽や期待を伴って突き刺さり、引き抜く事には多大な苦痛を伴う恐怖の矢「ロックインの矢」について語る。

急いでいい「R」急がない方がいい「R」、2つの作戦の使い分けが重要だ。

仮に5Gでネット次元の拡大が起こった場合に備え、ネットにプレゼンスの種蒔きをしておくことはまったく無駄なことではない。

202X年。地球は格差の炎に包まれた。あらゆる人間は、絶望したかに見えた。しかし、人類はあきらめてはいなかった…!

IoTがもたらす好都合の逆、不都合もある。それはマス(mass)への強制参加であり、より高次なものとの繋がりの断線ではないか。

「効率」より好率が効果で上回ることもある。人間の「感覚」とその「質」について思う。

飽和状態の果実と化した現代日本に『AKIRA』を待ち望む者は潜在的にどれほどかいるのではないか、と思う2018年大晦日。

創造のランドスケープから「フラクタルパターン」を知れば、小さなことはじつは大きな意味をもつかもしれないと気付く。

ゲームはやっぱりスプライト。スマホゲームは度外視。という人にのみ向けて書くゲームエッセイ「ゲームゲノムの囁き」のコンセプト。

しなるロッドに、北斗二千年の歴史で最も華麗なる拳士トキの極意をみる。

人も「海」に棲んでいる。レッド・オーシャン、ブルー・オーシャン、そして私が目指すディープ・オーシャン。

A5和牛が自分の口には合わなかったことから、話が宇宙観にまで飛躍する。

ヘルシーっぽいグリーン系ラベル、辛そうなレッドラベル、高級感のあるゴールドラベルetc. マーケティングはラベリングに似ている?

「古びたもの」のなかには古美たものとして精神の次元に価値をもたらすものがある。

どれだけ話題になっていようがアクセスを集めていようが、必要のない情報は必要ない。情報フィルタリングで情報をろ過する。

「場」のもつ効果は大きい。選べる「他力」としての「場」をうまく活用する。

私はコレで「マダガスカル島」の位置を覚えました。

これからは「感性的、小さな思想の繋がり」を基点にした、ネットによって空間の制約をほぼ受けない「エア(air)な村」の時代!?

SCO SCO

「SCO(Survival Cost Optimisation)」で使いどころを見極め、持ち金の価値を上げる。

ボツ写真を遊び心で、自由すぎる編集で、意外な敗者復活写真にしてみる。

「普通」ほどコロコロ変わる、いいかげんなものはない。「普通」とはイリュージョン(幻想、錯覚)であることを知っておく。

「自分軸で生きる」ことがだいじなんじゃない。その軸がちゃんと中心にあることがだいじ。

個人のオウンドメディア「素娯録」を始めます。

モノとのかかわり。楽しみ。

シブい携帯ゲーム機、ゲームボーイアドバンスSP(GBASP)。

『R-TYPE III』。ハイパードライブシステムで、波動砲を「無駄無駄無駄無駄無駄!!」と撃ちまくれ。

『重装機兵ヴァルケン』。ロボットアクションの旨みの高濃縮に成功したメサイヤの奇跡。

「じゃじゃ馬」だが「駿馬」であることはまちがいない。手ブレ補正もない、顔認識なんて邪道、バッテリーの持ちはわるい、しかし一級品。

ポストコロナのマスクは、もはやファッションアイテム。MADE IN JAPANのイケてるマスク「イケマスク」特集。

新しいものが良いものだとはかぎらないのが世の常ならば、旧きクオリティ「燻し銀の工物」を発掘しよう。

Lo-Fiの滋味は今、アートの次元に。レトロゲームは「戦うアート」だ。

携帯料金が高いと感じるなら、それは費用に見合った価値がない、と思っているからだ。携帯のコストを見直そう。

手のひらに乗る掃除機。吹けば飛ぶような小さなゴミ専門のスグレモノだ。

収納を制する者は空間を制す。収納の行き届いた小さな部屋のほっこり感は地上の楽園。

インフォメーション

人類史上初めて、自分自身を経営する責任を負わされる時代だと、P.F.ドラッカーは語った。

価値やサービスを作り出し、「デベロッパー側」や「デザイナー側」として「発信」するには、スマホよりもやっぱりPC(パソコン)。

自らのデザイン×センスを娯しむ。素娯録ブックスは、心にキラリときたものを本棚のように置いていきます。