身体的知性

身体的知性

知性もまた身体から生まれるものである。どれほどの知嚢も、身体なしには発揮しない。

知性がいかに身体的なものであるかについて、人は往々にして無頓着なものだ。知性の本質が身体により揺られていることを意識しない。

たとえば思想傾向をいう「右、左」において、「左」はフランス革命時、自由・平等・博愛・理性を掲げたジャコバン派の政治党派がフランス国民公会の左側に座していたことに由来するのであり、その基準は身体にある。

あるいは、映画『エイリアン』の恐怖の異形とその生態は、男性器と女性器をシンボルとした性の身体的恐怖性を本質におく。

あるいは人が左右の対称性は重視するのに、上下の対称性を重視しないのは、人間の、己の身体がそうであるからであろう。

自在、霊的といわれる発想ですら、この次元では身体と不可分である。