
怨情
ネット界隈の「炎上」なるもの、その多くの「火口」は、文脈からみて怨情であろう。つまり「悪意を含んだねたみ」である。
これらのさもしさが、現代人特有のものかといえば、おそらくそうではない。ネットという時間と空間の制限から半解放された「のぞき穴」が、生きるにおいて知ることも見ることも必要のないものまで知らせ見せる「穴」が、世間も思考も海綿状にし、人を病的な知覚過敏の陥穽にはめるとみえる。
それはおよそネットを取り入れた文明圏の文明人の総「出歯亀化」のようなものであろう。出歯亀とは、明治末の変態性欲者、出歯の亀太郎に由来するが、彼と「怨情人」のちがいは技術の如何によるものでしかなく、そう考えれば、令和とは明治の変態もひっくりかえるほどの変態的時代である。
次の一万円札の肖像は「出歯の亀太郎」にでもするのがよろしかろう。福沢諭吉も、変態社会の紙幣の肖像など降版願うのではないか。