いざアングラ|群衆の時代の終わり――そして人間の再興か終末

群衆の時代の終わり――
そして人間の再興か終末

個人格の消失した群衆的個人

(前略)
意識的個性の消滅、無意識的個性の優勢、暗示と感染とによる感情や観念の同一方向への転換、暗示された観念をただちに行為に移そうとする傾向、これらが、群衆中の個人の主要な特性である。群衆中の個人は、もはや彼自身ではなく、自分の意志をもって自分を導く力のなくなった一箇の自動人形となる。
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ギュスターヴ・ル・ボン(Gustave Le Bon)/櫻井成夫訳『群衆心理』講談社学術文庫。

ンを打つつもりでいる者にその考えを訊けば、「みなが打つから」だという。そしてその隣にいる者もまた同じように答える。そうか。みなが覚醒剤を打てば、同じように打つ者だということを私は知って、その者との付き合いを考えるよすがにはなる。

目の前の個人にたいして言葉をなげかけているのに、みなすなわち群衆を代表して喋りだすような者は、拙劣な意見すらもたぬオートマタ(自動からくり人形、automata)にすぎない。そんな個人格の消失した群衆分子、マスマン(mass-man)の、傾眠の譫言を聞くぐらいならば、むしろ「もちろん打つとも。なんせ、ファイザー製薬といえばバイアグラでずいぶんと世話になったからな。私はあれのおかげでをとりもどすことができたんだ。以来、同社への私の信頼は揺るぎないものだよ」とでも答える者のほうが人間としてはるかに上等であり、話を聞く価値がある。

新たな専制と群衆の時代の終わり

古典的名著『群衆心理』の著者ギュスターヴ・ル・ボン(Gustave Le Bon、1841~1931)は、その序文で群衆を支配することは非常に困難といったが、それから約一世紀を経た2021年において、群衆が支配されずにいることは非常に困難になった。ル・ボンのみた増長する支配困難な群衆は、今では――ル・ボンをはじめ種々の優れた研究によって――群衆を知りつくした文明の指導者たちによって、技術によって操作・支配される。単に破壊力しか持ち合わせていないが、しかしその破壊力ゆえにかつて王から神権を簒奪した群衆だが、今となってはその破壊力は――巧妙に、技術によって――群衆自らに向けられ、群衆自らを脅す。そして常に、終生、自ら帰属する群衆に睨められながら、浮浪し、群衆の一部に擬態したまま自らの本性を見定めることもなく死んでいく。かつての、数で王に勝った論理はもはやなく、かつてのどの君主にも勝る力をもった「システム」によって、その数を、暗示を、随意に操作しうる「技術」によって、群衆の時代はすでに終わっているのである。そしてこのことが、いよいよ人間の終末に向けたターミナル・ケア(終末医療、terminal-care)の必要性を私の脳裡にしきりに訴えかけるのである。

「種」という生存戦略からなる位相において、群衆は人畜異としないアポリア(解決できない難問、aporia)であると分かっていても、個人として、その薄気味悪さに踠(もが)かずにはおれないのである。

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群衆(群集、マス)について知るために、まず最初に読むべき古典的名著であり、結論の書でもある。
ギュスターヴ・ル・ボン(Gustave Le Bon)/櫻井成夫訳『群衆心理』講談社学術文庫。