新型コロナウイルスがしぼり出す、止まらない世の中の膿

新型コロナウイルスがしぼり出す、
止まらない世の中の膿

YouTubeで「ワクチン(Vakzin)」と発音して語れば検閲の対象になるのだという。へえ、そうなのか。ではせっかくだから、この記事でも黒塗りして「ワン」とでもしようか。

「ワン」と口にすることが、なぜ『天空の城ラピュタ』における滅びの言葉「バルス」のような扱いになるのか。そこにスタジオジブリの制作者たちが込めたような深い意味があるのだろうか。おそらくそれはない。

なぜ「ワン」が禁句になったかについては、人世はカネの流れに浮かぶ病葉であるということを察するならば、「ワン」についてああだこうだ賢しい意見が飛び交うことを煩わしく思う受益サイド・寡占にとっての営業妨害として、そこに一定の制限、統制をはかろうというだけのことだろう。この程度のごくシンプルな振る舞いを陰謀だのやれ策略だの騒ぎ立てるのもおかしい。そのような徒輩はいったいこれまで、どんな平穏無事な人生をおくってきたのだろうと思わずにいられない。その程度の「物事の陰」など、町工場から冷え切った夫婦間まで、遍く常在するものだ。

むしろおどろおどろしいのは、カネ儲けの「一商品」である「ワン」に、まるでかつての「ドラクエの発売日」ほどの熱狂で行列をつくる世人である。プロダクト(生産品、製品)なるものは、営利目的の所産、カネ儲けのための産物なのだから、むろんPR(Public Relations)としての陽表面と、沈黙に伏す陰伏面が存在するのはいうまでもない。「ドラクエ」にハマって徹夜した結果、体調不良になったりすることは、それこそ当人の不足であり、メーカーはそこまで干渉できない。夢や希望を売る商売の裏にも眼精疲労のリスクがあるように、すべてそういうものであろう。

「ドラクエ」の特集記事やCMをみて衝動的に購入することと、「ワン」にかんする動物実験のデータや内容物について調べもせず問いも発さず、衝動的におのれの身体に注入することはなにも違わない。ただし、ゲームであればそれが期待したものではなかった場合、売ればいくらかの損失補填はできるが、生命の表現装置としての身体にかんしては事はそう単純ではない。であれば、「ワン」にかぎらず、身体に取り込みおのれの血肉の一部となるものに対しては、判断のよすがとして、少なくともそれについて(正価値・負価値両側面)書かれた本の2、30冊分ぐらいの知識は耳目に入れる、もつというのが、知識社会に生きる者として最低限の「及第点」に達するための精神の構えではないだろうか。

取説も読まずにはじめられるゲームと「ワン」というプロダクトの性質の区別ぐらいは分かる大人であれば、リサーチに10,000時間ぐらいかけたとしても、なんら神経質ということはないはずだ。

「ワン」にかんして、望まぬ反応がその身に起こったとして、知識社会にあって知識と経験の総合作業、コンプリヘンション(総合的理解、comprehension)の構築にすら取り組まなかったおのれの怠慢には一切責任がないなどと、通らぬ話である。「そんな殺生な」と情に訴えかけたところで、現代・現在の人世のメカニズム(機構、仕組み)がそうである以上、どうしようもないことであり、そのメカニズムに滋養を与え肥え太らせてきたのはほかならぬ犠牲者たるマス(世人、mass)なのである。

「新型コロナウイルスがしぼり出す、止まらない世の中の膿」はウイルスよりもはるかにたちが悪く、暗愚に染まった狂臭を放っている。

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