rev 巡りめぐって再び

「レボリューション」という言葉にみる
世人・世態の直線的かつ平板なセンス

世人・世態にみる「レボリューション(revolution)」という言葉のありさまは、まるで少年漫画のような稚拙さと妄誕に歪曲され貶価されている。その意味は革命的、大変革的といった急激な変化をいいたいのだろう。これまでにない新奇さと、ロケットのような勢いで、右肩上がりに可能性に突き進む活力的なさまをいいたいのだろうが、それが思春期特有の偏頗な衝動であるということすら識別できぬほど、世人の多くが児輩のごときセンスに、世間は魯鈍になってしまったということだろう。

洋の東西を問わず、受け継がれ、生き永らえてきた言葉というものは、個人の生をはるかに超えた、すべて老熟にして老実なる知恵である。「レボリューション(revolution)」という言葉のもととなる「レボルブ(revolve)」の原義は、再び(re)回る(volve)であり、これに時間の観念を加えて立体視するならば、螺旋のようなものだろうか。

つまり「レボリューション(revolution)」という言葉の多面体には、「革命」や「大変革」といった側面のほか、「周期」「一巡」という側面もあるのだと知れば、「レボリューション!」と叫んで野心の飛躍に陶酔し、向こう見ずに突進することがいかに偏頗な思春期の餓鬼じみた振る舞いであるかが分かるというものだ。そしてそのような「似非レボリューション」が猖獗をきわめる世というものが、卑俗、俗悪に堕ちずにはいないということも明白であろう。

レボリューション(revolution)」という言葉を丁寧に腑分けすれば、そこには「巡りめぐって再び――」という回転運動の中に仄みえる中心軸らしきものがあり、それはどうやら本質の形象であり、実在から垂れる一条の示唆、規準のようでもあると察することができる。――銀河の如く、原子の如く――。そしてその軸から大きく外れた回転運動などは、やがてその不安定さに、自らの叛意に自ら耐えきれなくなり、外れた分だけの反作用が自浄的にはたらいて、どのみち巡りめぐって再び恒常性の道に還ることになるのだ。そうと察すれば、「似非レボリューション」のどんちゃんにかかわること少なくして、心穏やかにして、実在の膝下であろうと信じられる螺旋の道を、ただ静かに歩めばよいだけである。

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反作用としてのレボリューション
破滅の似非レボリューション

SF(science fiction)の映画等にみる、進歩、進化の概念はじつに滑稽きわまりない。そこにみる進歩、進化の定義は、およそ技術的なる側面にのみ異常に近視眼的に傾き、進歩人、進化人の象徴としての外宇宙生命体は、つまりテクノマニアック(技術狂)をきわめし者として描かれる。これをしてまさに、アメリカニズムという食餌に偏食した結果の偏屈で狭隘な文明観といわざるをえない。

そしてそのような文明観にもとづく文明なるものは、シュペングラーのいったように、ごく短期的な四相(生・住・異・滅)のサイクルを焦燥をかかえつつ駆け回ったあげく四散する。そのような似非レボリューションの顛末を無意識下でうすうす感じられるようになったのだろう、昨今、アウトドア・レジャーやヴィーガニズム(veganism)といった自然回帰の、いわば自己慰安的機制が勃興しつつある。それらは反作用としてのレボリューションであり、生命のホメオスタシス(恒常性、バランス、homeostasis)による、よりよく再び(re)回る(volve)ための軌道修正、軌道探査であろう。

だが悲しいかな、それら修正運動としての、反作用としてのレボリューションという「変革」はやすやすと成功しないだろう。むしろ失敗に終わる可能性が高い。なぜなら天地人の連関において、人が天地人と和合をはかるための最初の道具としての「言葉」が絶望的に侵されきっているからである。それによって観念、概念の統辞法を失ってしまったからである。象徴的には、たとえば「神」という言葉が単なるフレーワード(称賛語)として貶価されている。それがパロディー(滑稽化、parody)で済むと軽々に戯れている。それが天地人すべてにたいする暴殄であるという深層を認識できぬほど、世人の多くが児輩のごときセンスに、世間は魯鈍になってしまったということだ。

言葉は存在の住処であるとハイデガーはいった。住処を失ってしまえば、いくら精進物(肉・魚介類を用いない植物性の食物)にかたむいたところで、その存在は雨風に打たれ、やがてやせ衰えて破滅するのである。螺旋に喩えるならば、中心軸への向心力を失った遠心力の卑しい暴走、無闇、無軌道な言葉の彷徨である。

破滅の似非レボリューションは、言葉にはじまる。言葉の似非、言葉の破滅が、もはや帰還不可能なほどに、万有の運動、回る(volve)中心軸から外れた時、純然たる破滅が、じつに物理的にあらわれるだろう。円周の限界で、自らが謗った言葉でできた住処が脆くも崩壊するさまをみることになるだろう。

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