リターン・トゥ・アブノーマル

ポストコロナとは、是が非でもビフォーコロナにもどすことなのか?
コロナ禍で生まれた「リターン・トゥ・ノーマル」という言葉について

経済活動をもとにもどすことが重要だ――。
コロナ禍であっても経済活動を優先しなければ生活が、社会がもたない――。
リターン・トゥ・ノーマル――早く通常の状態に、「ノーマル」にもどさなければ。

こうした意見はもっともである他面、違和感がある。その違和感は思考を「原点」に向かわせる。ところでその重要で何にもまして優先しなければならない「経済」とは何ぞや。「ノーマル」になくてはならない「経済」とは何ぞや。感染者数は鰻登り、『ドラゴンボール』のスカウターがぶっ壊れるほどの数値を叩き出したとしても、かまわず優先しなければならない「経済」とは何ぞや。「経済」の本来の意味は何ぞや。

けいせい-さいみん【経世済民】
世の中を治め、人民の苦しみを救うこと。経国済民。
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広辞苑 第六版

つまり先の言葉を言い換えると、
世の中を治め、人民の苦しみを救うことが重要だ――。
コロナ禍であっても世の中を治め、人民の苦しみを救うことを優先しなければ生活が、社会がもたない――。
ということか。

だがこんな文脈は現実に存在したためしがない。 「経済活動」とは、「経済」とは「カネ」のことにほかならない。本来の意味である経世済民など何処吹く風の「カネ」のことである。多くの人が「経(世)済(民)」という略された意味すら意識になく、ただただ「カネと、カネにかんすること」が「経済」だと考える。そして実態がそのようである以上、それは当然である。

然して「リターン・トゥ・ノーマル」のノーマルとは「カネ」のことである。「カネ」の活動が普通に、コロナ禍前にもどることが「リターン・トゥ・ノーマル」ということだ。「人」は二の次、さして重要ではない。「ステイホーム」でも「ステイ地の底」でもかまわない。カネの流れさえもとに戻れば大団円、めでたし、めでたし、である。

「リターン・トゥ・ノーマル」とは、鮨詰めの満員電車に積載されてブラックな労働にもどることであり、スーパーのワゴンセールにハイエナのようにたかる日常のことであり、一瞬、わずかに局所的に清浄化された地球環境をもとのように汚すことであり、それらは生態系の覇者であった人間をついに完全に従僕とし、支配しきった「カネ」が生態ピラミッドの頂点にふたたび鎮座することである。

「ノーマル」にたいする違和感はそこにあったというわけか。世間が誉めそやすこれら「ノーマル」は、私の感覚で「アブノーマル」と言い換えたい。

アブノーマル【abnormal】
異常なさま。特異。変態的。
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広辞苑 第六版
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