SIGMA DP2

センス(sense)が宿るカメラ
愛機「SIGMA DP2」

「SIGMA DP2」――知る人ぞ知る「じゃじゃ馬」だが「駿馬」であることはまちがいない。手ブレ補正もない、顔認識なんて邪道、バッテリーの持ちはわるい、そんな朴訥、一本気なカメラだが、たまに使い手の技量をはるかに超えた「画」を描き出すことがある。そこに「このカメラの意思めいたセンス」すら感じることがある。

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「SIGMA」のカメラが描き出す抒情感は、表のスペックのみならぬ裏のスペックとでもいうべき設計思想の副産物、カメラ自身の個性、意思、センスの表現ではないだろうか。年式になど左右されない、このセンスが好きだ。ハイテクなVFXを多用したばかりに乾涸びた映画にたいする本質以外を削ぎ落としたつくり。クリント・イーストウッド監督の映画に通ずるようなエスプリがそこにある。
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SIGMA専用現像ソフト「SIGMA Photo Pro」がこれまた良い仕事をしてくれる。さすが専用ソフトだけあって、ある意味PhotoshopよりもダイレクトにSIGMA製カメラの個性を引き出してくれる。
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SIGMA DP2の「Foveon X3 センサー」は色の扱いも卓越しているため、モノクロではもったいないと感じたこともあったが今はちがう。モノクロは色の利害関係から解放された素描、実講であって、洞徹するにはモノクロのほうが素直だ。
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人と同じ対象を、人と同じ視点で見るだけなら、野次馬と変わらない。
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骨格が美しいものは、ほぼまちがいなく美しい。道具も乗り物も、美しいものは美しいフレームをもっている。しかしここでひとつ問題が生じる。人間にかんしては、美しい骨格をもっているというだけでは、私はなぜかその人を美しいと思ったためしがない。
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モノクロ世界に色相(hue)がないことは、安っぽいヒュー(hue)マニズムがないことに似て、かえって品格があるものだと思う。

年をとるごとに風狂に寄りつつある私にとって、「SIGMA DP2」の「一癖」こそが愛着の引っ掛かりどころなのである。