分岐する ニューノーマルOld Normal
どちらの道を行くのか

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本当にリターンしたい現実なのか。
繰り返したい同じことなのか

Return to Normal――
本当に元に戻したい以前と同じ状態なのか。繰り返したいことなのか。リズムが大幅に狂った緊急事態宣言期間中、外出制限中に、それをよくよく考えてみるというのは、意味のあることだと思う。

Return to Normal――
それを選択するならば、今回の新型コロナウイルス(COVID-19)で受けた経済の多大なダメージの穴埋めにさらなる増税を課せられ、さらに生きづらい毎日をおくることになるかもしれない。

Return to Normal――
それを選択するならば、感染リスクが増した満員電車に乗って、咳ひとつ、くしゃみひとつしただけで視線で袋叩きにされる、さらに殺伐とした景色に生きることになるかもしれない。

Return to Normal――
それを選択するならば、また今までどおり、反りが合わないアイツと、朝から晩まで同じ空間に閉じ込められ、人生の時間のほとんどを耐えることに浪費するうちに一生を終えるかもしれない。

Return to Normal――
それを選択するならば、性懲りもない旦那の浮気ぐせ、夜遊びも元通りになり、夫婦喧嘩の絶えない毎日を復元することになるかもしれない。

Return to Normal――
それを選択するならば、事あるごとに何も変えることがない悪罵と騒擾の雑音のなかで、結局、システムの指示待ち人間という灰色の生命を受け入れることになるかもしれない。

Return to Normal――Repeat the Same

同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という
――
アルベルト・アインシュタイン

ニューノーマルとはウイルスからもドグマからも
自らのスタンス&ディスタンスをとる自律の選択

Old Normalの世界は、単に新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックが起きる前に時計の針をもどすことではない。これまでのシステムにパンデミックという新たなシステム増強の力が加わり、システムのシステムによるシステムのためのシステムという他律は人間をさらなる大衆化「超大衆化」し、さらに機械じみた手段で使役するだろう。少なくとも、これまでのNormalとはそうした流れであり、それを多数派が受け入れてきたのだ。あらゆる立場、職業的役割よりも上位に、人みなオートマタ(自動からくり人形、automata)であることを、暗黙裡に合意してきたのだ。それをよしとする人は、全力でReturn to Normalすべきだろう。

反対に、これまでのレールを走るのはもううんざりだ、という人は、旧いノーマルへのリターンはごめんだ、と意思表示する、言葉として行動として、自ら変化を体現する必要があるだろう。その場合、今回の感染症災害を、多少「あやかり商法」的に利用してもいいはずだ。感染症災害をウイルスと人類の戦い――個人的にこの表現は好まないが――と定義するならば、苦しみの再生産を止めるのに新型コロナウイルス(COVID-19)を逆に利用するぐらいの反撃をしなければ、負けっぱなしということになるのではないか。厄介なウイルスとの戦いで得る戦利品が、社会や個人の幸福の欠片であれば、この戦いには大いに意味があったといえるのではないか。

愚痴だらけの飲み会にいやいや参加することが、満員電車で赤の他人と恋仲以上の近接を強いられることが、自腹で交通費を支払ってまでパワハラを受けに行くような馬鹿げた行為が、心から「良いこと」のように思えないのなら、そうしたドグマと、あるいはノーマルと、ノーマルとされ扱われる社会と、それこそディスタンスをとるべき機会ではないだろうか。独一個人としてのアイソレーション状態を、座禅の静けさを、冷静を取り戻すまたとない機会であると、私は考える。

自律と自発、秩序と価値と精神とを取り戻すこと、魂の免疫強化を図ることに、このカオスな期間と時間を使うことを、ぜひおすすめしたいと思います。