新型コロナウイルスパンミック中につき ニューノーマルの憶測

新型コロナウイルス(COVID-19)経験後の
「感染症災害前提社会」を憶測する

新型コロナウイルス(COVID-19)が世界各地を席巻する2020年5月の今なぜ、終息後のことまでを俯瞰して考えなければならないのか。それは現在の新型コロナウイルス(COVID-19)が終息しても、それでなにもかもが解決、大団円とはいかないであろうからだ。

新型コロナウイルス(COVID-19)が「新型」なのは、文字通り新しいウイルスであるからで、「COVID-19」の名が示すとおり、「COVID-20」が出現すれば、それが「新型」となる。「SARS-コロナウイルス-2」という名もあるように、つまりナンバリング(番号、numbering)されることが前提の事変なのだ。ここ約100年間のパンデミックの歴史を振り返っても、

  • 1918-1920/スペインかぜ(インフルエンザA/H1N1)
  • 1957-1958/アジアかぜ(インフルエンザA/H2N2)
  • 1961/コレラ(コレラ菌)
  • 1968-1969/香港かぜ(インフルエンザA/H3N2)
  • 2009-2010/新型インフルエンザ(インフルエンザA/H1N1swl)
  • 2019-****/COVID-19(新型コロナウイルス/SARS-CoV-2)

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と、6回もある。

今回の新型コロナウイルス(COVID-19)に特別な意味があるとすれば、グローバル化されたことで国や地域を越えて急速に世界に蔓延するという実態と、情報化社会における大規模な感染症災害がインフォデミック(情報の伝染、infodemic)を併発し、非感染であっても被害が経済や人々の意識にまで重層的に拡大するということ、そしてそれらが前提となる社会構造へのシフトがもはや不可避な普遍的課題であるということを示したことではないだろうか。

今回のウイルスは「19」であり「2」であり、「20」も「3」も当然ありえるのだという認識で、現在只今の対応、対策と並行して、近未来にまで敷衍した思考、戦略をしていかなければならないと考える。その戦略の中身は3つの爆発的現象、「感染爆発」にたいする防疫の観点、インフォデミックという「情報伝染」にたいする思考・意識の観点、そしてパンデミックにたいする封鎖、制限等の対策によって引き起こされる「経済破綻」という経済の観点、大きく3つの観点が必要だろう。

現在の新型コロナウイルス(COVID-19)も終わったと思いきや再度蔓延して、映画やゲームのタイトルのように「COVID-RE:19」、「SUPER-SARS-2」ということもありえないとはいえない。そしてその度に、現在の社会はパンデミックとインフォデミック、行動制限の多重波にさらされ、健康や生命が、生活や経済が、情報の錯乱により知識・意識が危機にさらされることになるだろう。

氾濫する情報に埋もれ、溺れるまえに、
自分なりの視点で全体を俯瞰してみる

メディアで毎日のように「新たに○人感染」といった情報にばかり触れていても、それだけでは自分なりの考え、総括した自分なりの選択、判断にはたどり着かない。私は日常的にマインドマップ的な、放射思考的に可視化する作業を落書き感覚で描くことにしていて、こういった作業はメディアがばら撒く一方通行の、あるいはリスト形式の情報に比べ、縦横無尽に思考を敷衍させるのに役立つ。今回の新型コロナウイルス(COVID-19)の感染症災害というものを少しばかり引いた視点で眺めるのに、マインドマップ的なものを各人描いてみることをおすすめしたい。外出制限中の暇つぶしにもなる。

マインドマップを描く時は、リラックスした状態、音楽を聴きながら、お茶を飲みながら、あぐらにネコを置いたり、酒を飲みながら、というのをおすすめする。ポイントは突き詰めて考えないこと。美しいマップ(造形)を期待しないこと。一般論としての「マインドマップの正しい描き方」にもこだわらないこと。同じことを繰り返しても良いし、意味不明な文言でもいい。頭に浮かんだことを言葉なりビジュアルなり、書式自由に、後先考えず描いていく。そうすることで余計なものと思われるものも含んだ全体像ができあがる。この「余計なものと思われるもの」がだいじで、ここに他の誰とも異なる「自分なり」というニューロンの多様性が表れるものだ。放射思考のメリットでもある。

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紙でも画面でもいい、まずはスペースの真ん中に主題を置き、そこから分岐的に頭に浮かぶあれやこれやを自由に描き出す、これの繰り返し。同じ言葉やイメージが何度も出てきたとしても、何度も出てくることに意味があるとして、突き詰めることなく流れのままに描いていく。終わりが見えなくなることがあるので、用紙サイズやスペースサイズを限度として、落書き感覚で描いてみると、全体像として、なんとなく瞰えてくるものがあったりする。