落日の系譜――
コミュニケーション・リテラシー|人間

ヨーロッパ人は隣国と戦争をすることによって鬱積した苛立ちを発散させ、植民地で日頃の鬱憤を晴らした。しかし日本人には、このいずれの可能性も与えられていなかった。鎖国という状況の中で、社会が生き延びていくためには、内部にたまった不満のガスを抜き取る弁がない以上、問題はあくまで自己の中で完結させなければならなかった。
(前略)日本語は、断定的な表現を避け、暗示という綿のように柔らかい表現方法を発達させた。それによって人々の間でクッションの入った意思の疎通が可能となり、刺激的な物言いが和らげられ、過敏な反応も回避することができた。(中略)なんとしても、角の立った対決は避けるのである。
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松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年。

令和の今も、家庭で、オフィスで、世間で繰り広げられるコミュニケーションの基本は「鎖国時代」のそれである。この日本的コミュニケーション術は、交換不可能な空間において最適化されたものであり、デザインされたものであり、そのような状況において価値を発揮するものであることはまちがいない。

しかし歴史的文化的原型の異なる日本人以外にたいし、日本人と同じ効果を期待するのはあきらかな間違いであろう。私自身、トルコ人、アメリカ人の知人とコミュニケーションがあった際、歯に衣着せずアクセル全開で相手の横っ腹にぶつけても、不快な顔をされるどころか、活きのいい獲物を喜ぶような、好戦的なガッツを褒めるような言葉まで返ってきて、その反応の違いにちょっとした感動すら覚えたものだ。そのような態度、エッジの効いたもまた、関係のバランスを保つために不可欠であるという、日本的解釈からすると逆説的態度も必要なのだ。日本人は「静」といえば、それはただ静けさであるという観念をもつかもしれないが、一方では、拮抗し相反する力が完全に50:50という、緊張のなかに平衡を保った状態を「静」と定義することもまたひとつの正しさであると思う。

日本人の多くは、未だに「鎖国時代的コミュニケーション術」ほぼ一択であることが、ビジネス、ひいては外交にも影を落としているように感じられてならない。時代の、テクノロジーによる空間的制約の変化とともに、コミュニケーション方法は変化、リデザインされなければならないものだと考える。言葉と空間には密接な繋がりがあるものだ。辞めると決まったオフィスの上司への気遣いや言葉遣いなどに変化が現れるのは当然のことで、「あんたのことは最後まで好きになれなかったな」という言語的変化は勇気の問題ではなくむしろ空間の問題である。

東京オリンピック誘致の際のプレゼンで「お・も・て・な・し」というジェスチャー付きのパフォーマンスを見た時、私は内心「ダメだこりゃ」と思ったものだ。おもてなしの精神が悪いという意味ではない。私が批判的だったのは、対外的なコミュニケーションのシンボリックな表現形式が「鎖国時代的コミュニケーション感覚」から思考停止あるいは硬直しているかのような、それが無意識的な深い観念の停滞からきていると感じたからだった。先に述べたとおり、鎖国時代的コミュニケーション術は日本語同様、日本の国家標準のようなものであろう。輸出において手を加えるのはプロダクトやサービスにおいては当然のことだ。さもなければ、それは独善的ともいえる負の側面を孕む可能性もある。現在なお生き続ける「鎖国時代の精神的基盤」からくるコミュニケーション術の負の側面とは、コミュニケーション・リテラシーの硬直であり、自己完結型の性善・人情論であるように思える。神経症的にコミュニケーションから角という角を除去しようとした結果、綿でくるんだキャッチボールをしない文化や民族にたいしては、当たり障りのない中途半端な笑みが能面化し、前後も、ベクトルも、主張もなくしてしまう。

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1857年頃の様子をオランダの船医ポンペ・ファン・メールデルフォールトはこう描写している。

「我々が姿を見せると、どこでも人々の歓迎を受けた。人々は家の中や仕事場から、我々を見ようと出てきて、あたかも長い旅から帰ってきて話したいことがたくさんある隣近所の人のように我々に接した」
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松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年。

まさに「おもてなし」の光景である。やがて通商条約が結ばれ、条約という言葉の裏に隠れた「蚕食」がはじまることになる。この時期、ルドルフ・リンダウという治外法権地域のフランス地区に駐在していた外交官の書き残した描写は次のようなものである。

「技術が生み出した傑作である我らが船、色鮮やかで金ぴかな制服、威風堂々たる観兵式、素晴らしい音楽、それらは全て、遠くからは日本人たちを感嘆させた。しかし身近なところでは、我々は日本人の尊敬を全く失ってしまった。洗練されたマナーや高貴な道徳ばかりでなく、人間としての最低限の要件まで失ってしまった。最も品位に欠けたヨーロッパ人が来るようになってから、日本人の心の平和と幸せはめちゃめちゃにされてしまった。白人のいるところには、いつも危険と恐怖があった。酔っ払って大暴れする、私と同じ人種の黄金の亡者たちのやることは、悪行ばかりだった。彼らはわめき声をあげながら町を歩き回り、店に押し入り、略奪した。止めようとする者は蹴られ、殴られ、刺し殺され、あるいは撃ち殺された。我が同胞たちは、通りで婦女を強姦した。寺の柱に小便をかけ、金箔の祭壇と仏像を強奪した」
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松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年。

自己完結型の性善・人情論は、鎖国時代の日本の国家標準を前提にしなければ成立しないということを一度は思い知ったはずである。70億人を越える世界との垣根がなくなった今、誰彼問わず笑顔で「おもてなし」などしていたら、下手をすれば命も何もかもを失うという「世界標準」を知ることは、「グローバリズムの予備知識」であろう。いわばグローバル化した時代のコミュニケーションの取説(取扱説明書)の1ページ目である。日本が未だに硬直した鎖国時代的コミュニケーションを実践しているとするなら、それはグローバル時代のコミュニケーションにおいて取説を読まず、160年以上前の国家標準を旨とするという、きわめて危なっかしい、自殺行為に遠からずといった狂態といっても過言ではない。

世界という舞台において、世界的現実において、「お人好しとはバカの別称である」ということがどうしても腑に落ちないのは、おそらく「鎖国時代の精神的基盤」によるものではないか。国滅んでも笑顔でおもてなしをやめられないなら、はっきり言って、もはや精神病であろう。

前述のオランダの船医ポンペ・ファン・メールデルフォールトが来日から一年後、前回とはまったく異なる描写を残している。

「通商条約が結ばれて一年経っただけなのに」と彼は残念そうに書いている。「それなのに私の姿を見ると人々は家の中に隠れてしまう。内側で閂(かんぬき)をかけている音が聞こえた」
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松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年。