落日の系譜――
鎖国時代というナショナリズムへの否定

「鎖国時代」を未開発な田吾作の時代と嘲るなら、それは「鎖国時代」にたいする知識が少々足りないといえるかもしれない。「鎖国時代」は、もしかすると日本人のDNAに記憶された最大の遺産、成功体験のひとつといえるかもしれないほどマチュア(成熟した、mature)な時代だったようだからだ。

アーノルド・J・トインビーの人類の歴史の奇跡のひとつは、日本の明治以降の近代化であるという言葉の奇跡は奇跡ではなく、じつはそうなるべくしてなった、あるいは近代化への布石が充分にあったと考えるのが正しいのではないか――そもそも近代化なる大規模で複雑な変化が奇跡や偶然で起きる確率はないといっていいほど低いものではないか――と考える。

現在、国内においても国外においても、日本の明治以降の近代化における主流の歴史認識は、1876年に来日し、四半世紀以上、東京帝国大学医学部教授として日本に滞在したドイツ人医師、エルヴィン・ベルツが家族に宛てた手紙の内容ほぼそのままであろうと思われる。

「お前たちはだいたいこんな風に想像すればよいだろう。日本人はわずか十年前までは、我々の中世の騎士時代の文化状況、つまり教会、修道院、手工業者の同業組合といった封建制度の中で生きていた。それが今、我々のヨーロッパ文明がたっぷり五百年かけて成し遂げた発展過程を一足とびに跳び越えて、ヨーロッパがやっと十九世紀になって勝ち取ったものを、一挙に横領しようとしているわけだ」
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松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年。

日本は本当に、未開発で後れた者たちが「横領」とまでいわれるようなずるをして、近代化を遂げた国なのだろうか。私はここで、「近代化」なる複雑で巨大な一大事業が、はたしてそのように「横領」可能なのかどうかに疑義を抱く。五百年もの近代化の遅れを本当に一足とびに跳び越えたのなら、それこそトインビーのいうように奇跡であろう。しかしそこには人種差別的な偏見、あるいは前提によって、技術あるいは近代化という運動にたいする冷静な分析が欠けているように思える。

技術やそれに伴うさまざまなものが安定的で剛健なレベル、文化的毛細血管にまで達するには、研鑽され涵養される「歴史的時間」というものが不可欠なのではないか、系統的プロセスが必要なのではないかと考える。それはおそらく一足とびに跳び越えることなどできないし、それをしたところで着地に多くの問題を孕むのではないか。

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日本の近代化は奇跡でもなければ横領でもないのではないかという考えにたいする解のひとつとして、同書にこうある。しかし現実には、工業化のための前提条件は、当時すでに十分に満たされていたのである。

つまりそれは十九世紀半ばにはすでに、日本には極端な貧富の差はなく、手工業の教育訓練を受けた学習意欲のある人材に恵まれ、学校制度もあり、総人口比で比較すれば、ほとんどすべてのヨーロッパ諸国よりも多くの人たちが読み書きができ、国内市場は栄え、道路、運河、航路といった産業基盤も完備し、投資事業に意欲のある富裕層の存在、また、金融機関、銀行に相当するものもすでにあったという。これらの事実は工業化の前提条件というより、日本は既に近代化を終えていた、ただしそれらは日本独自の自己完結型で、という解釈が妥当なのではないか。

近代化を妨げる恐らく最大の問題は、富の不平等な分配である。一握りの上層階級が土地の大部分を所有し、その土地から生みだされる富の大部分を独占するかぎり、需要も偏ったものになる。経済活動の軌道は金持ちの要求する方向へ向けられる。(後略)
(前略)そのような社会には希望というものが生まれない。経済的な豊かさと購買力が広く行き渡っていることが、工業化のための前提条件である。(後略)
数世代にわたって、貧富の差が拡大することを食い止める効果的なメカニズムが、経済の仕組みの中に組み込まれていなければ、その社会はあっという間に、破局へと雪崩れ込んでいくだろう。無産階級が破滅の淵へと追い込まれ、生き延びる望みを失った時、彼らは暴力へと手を伸ばす。貧困、嫉妬、そして社会の不正に対する怒りが、常に革命の最大の温床であった。
日本には革命がなかった。なぜか、という問いにはたくさんの答えが可能であるが、結局日本ほど、貧富の差、上層と下層の差が極端でない国は、世界のどこの国、どこの民族にもないということである。
(前略)革命以前フランス人は、一日に一リーヴル稼ぐことが出来れば有難いと思わなければならなかった。年収およそ三百リーヴル。それに対してルイ十六世の妃マリー・アントワネットの衣装代は、年におよそ二十五万リーヴルだった。今日の金額に換算すると、少なくとも六千万フランである。民衆の心が煮え立ったのも不思議ではない。
住民の間で個々の集団の格差があまりにも極端になると、その社会は不安定になるというのは、古くから日本人の考え方に深く根ざしたいわば常識のようなものである。日本人の私は、なぜ他の国々はこのことに気がつかなかったのか、理解に苦しむ。鎖国時代においては、この考え方が国の基本方針にさえなっていた。
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松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年。

日本文化の原型は、未開発の後れた田吾作文化などではなかった。むしろ現在蔓延る日本の原型の否定と、欧米の視座からの歴史認識とシステムのコピー・アンド・ペーストによる現在の日本は、尾羽打ち枯らした擬態的近代化の成れの果てであり、システムの本質、完成度において鎖国時代よりデグレード(degrade)された、改悪的産物であると思えてくる。

あまりに極端な格差は、社会を不安定にし、ひいてはそれが近代化の仇となるという、鎖国時代には国の基本方針にさえなっていたという考えは、原型となる歴史の否定とともに消失し、日本的近代化は盲目的ともいえる欧米礼賛、体質に合わない劇薬による欧米のミメーシス(模倣、擬態、mimesis)へ舵を切った。しかしこのことは下田と函館を開港した時点で歴史の不可避だった。日が傾きだしたのはむしろ、その後も現在に至るまで、このミメーシスに懐疑の光を当てず、日本的バランスポイントを模索し、再構築するという歴史的反省と昇華へ至る難解な思考とプロセスを放棄しつづけていることにあるのではないか。