余光の下で――余光が炙り出す落日の系譜

日本はなぜこんなありさまになってしまったのか
――余光が炙り出す落日の系譜

2020年3月現在、私の目に映る「世間」は、お世辞にも健全とは言えない。私自身の心情はもはや風狂に傾き、真面目に、あらためて取り上げることすらなくなりつつある日本はなぜこんなありさまになってしまったのかという思いをあえてつまみ上げ、実験台にのせ、少しばかり解剖してみようと思った。

新型コロナウイルスにせよ原発事故にせよ、政府の、世間の反応の、その皮一枚向こうに同じ本質が蠢いていることに、おそらく多くの人が気づいている、気づきはじめているのではないか。その蠢くものを取り出し、解剖してみようという試みにはうってつけの時だ。外気はウイルス騒動で萎縮している。

さて、その蠢くもの、「蠕虫(ぜんちゅう)」をずるずると引きずり出すと、その体長は近代分あるようだ。今見えているものは頭か尾か、先端のようで、思っていたより相当長いこの「蠕虫」、その全体像をまじまじ眺めるにつけ、忌々しさよりも、どこかペーソスを感じる。この「蠕虫」それ自体に悪意は感じられず、それはただ生きようと、必死に生きた歳月の末の姿かたちだった。

この「蠕虫」の発生から今にいたる生態を繙けば、日本はなぜこんなありさまになってしまったのかという問いにたいする答えの一片に触れることができるような気がする。

松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年
現在の日本近代史は日本人の視座から語られるものではなく、世界史という視座から語られるものでもなく、欧米人の視座から語られるものではないか。「日本がこんなありさまになってしまった」ことと、日本人不在の日本近代史観には何か関係があるのではないか。そう思い手にとった。
松原久子(著)、田中敏(訳)『驕れる白人と闘うための日本近代史』文春文庫、2008年。

未だ近代を脱しえず

令和の今も「近代」であり、その只中であるというのが私の認識だ。「近代」の定義はさまざまなれど、ここでは記事の趣旨に添わせる意味で、日本においては鎖国の終了、つまり1854年、ペリー率いる合衆国東インド艦隊の圧力に屈し、下田と函館を開港した時点を「近代のはじまり」と仮定する。以来160年以上の時を経ても尚、現在を「未だ近代を脱しえず」と考える理由については後に展開していくが、今が「近代」であるからこそ、もっとも学ぶべきは「近代」なのだと考える。「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」と暗記する必要性がないとはいわないが、「近代」について知る重要性は、それ以前の過去について知ることより、現在を生きる人間にとってはより重要であるといわざるをえない。現在は未だ「近代レジーム」のなかにある。

日本と日本人にとって「近代」がどういうものであるのか、つまり「鎖国時代」という、日本人が主体になってガラパゴス的に純粋培養した、いわば日本の原型から剥離した点はどこで、不変の点はどこなのかという二点に関する知識は、今現在をより立体的に捉えるための二点透視図法のようなものかもしれない。

現在の日本に頭をもたげるさまざまな「葛藤」は、「鎖国時代」から現在なお生き続ける「精神的基盤」と「近代」という外力によって捻じ曲げられ変形させられた「現実」が交わる力点から発生しているように思えてならない。それは歪であり不協和である。

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