基準(クライテリオン)錯誤

基準(criterion)は絶え間ない運動。
旧い基準を基準にし続けるという錯誤

イメージある自営業の男(50代半ば)の場合

30代で起業、その後、日本の凋落曲線とともに緩やかに売上は減少しつづけ、家賃の滞納はついに一年分を越え、今も膨らみ続けている。

日本経済の寒冷化前、最初のサラリーマン時代を経験したその感覚は、彼の経済的原風景となっている。 給料は今ならハイクラス求人で扱われる高給だったが、専門的なスキルは必要なく、飲み会を上手く立ち回ればその給与は毎月手元に落ちてきたという。 彼は口癖のように言う。 「早く景気良くならんかなあ」―― この言葉を50代半ばの彼の口から耳にする度、ロスジェネといわれる世代の私とは、一回り程度の歳の差とは比較にならない大きな感覚の違い、大きな溝があることを感じる。 彼にとって景気は、気象のような、雲の流れのような現象なのだろう。 だから2019年の今も、そのうち、国内の景気はまた「ピーカンの良い天気だねえ」といえる時期が来るのだと信じているらしい。 天気ならそれもありえるだろうし、私も「そうですね。まあ、いつか晴れますよ」とでも言うかもしれない。 人が信じて支えにしていることを大義もなく遮るようなことは言うまいと思い口にはしないけれど、 この人は、すぐそばの火事を夕焼けか何かと見間違えているのではないだろうか、そう思いながら毎度、彼の楽観論を聞いている。

貧困は自然のものではなく、人間から発生したものだとネルソン・マンデラも語ったように、現在の国内の経済的状況は人工的現象であるし、構造的な原因が関わっている。 その物事を成している「構造」をみれば、水は下から上に上るわけがないという道理をみるように、今現在の状況が「雨乞い」で解決するはずなどないということがわかる。 しかし彼は「あー、早く景気良くならんかなあ」と言いながら、滞納した家賃はそのままに、美味い飯と女に金を注ぎ込む。

その姿を見るに、本気で「かつての基準」を信じているのだと思った。

イメージある主婦の女(40代後半)の場合

夫婦仲は永遠の冬、住居はタダのホテルと割り切り、若い男とだらだらと不倫をしている主婦がいた。 彼女は言う。 「毎日はたいして面白みもないけれど、このまま適当にやり過ごせば、やがて夫の厚生年金で安泰、逃げ切り。今さら大きな変化も疲れるだけ」

そんな彼女の畢生の目標は「歳より若く見られること」だ。シミ、美肌、寄せて上げる、といったワードは5ポイント(約1.8ミリ)の活字であっても見逃さないが、「老後2000万円問題」の大見出しは目に留まらないことだろう。 令和の有閑マダムは、 「夫の勤める会社が倒産することはない」と言うのだが、その会社の財務諸表も見ず、取引先のひとつも言えないで、これまたものすごい信じっぷりだなと思う。 これだけ強く信じていれば、スピリチュアルでよくいわれる「引き寄せ」ができるものだろうか。 彼女の信念が量子的に優先され、何不自由のない現実を歩んでいけるのだろうか。

その姿を見るに、土壇場まで「かつての基準」を疑うことすらないのだろうと思った。

イメージ週休0日、週末バイトでも生活費が足りなくなった夫婦(30代後半)の場合

社内結婚を果たした頃は幸せだった。 子供は二人、マイホームにマイカーで週末は家族でピクニック、子供から手が離れた後は、夫婦で季節ごとに旅館でも巡ろうかしら――
夢の梯子を途中までは昇れた。 しかし梯子を支えていた木はじつは根が腐っており、大きく傾きはじめ、実も干からびて鳥も喰わぬものだった。下から見上げていた頃は、想像もしなかったことだ。

令和元年、二人の子供が元気に成長してくれたことは幸せだ。 将来の進学を考え、共働きで精を出してきたが、肝心土台の日本の裾野は精根尽き果てつつある。 夫のボーナスはなくなり、給与は下がり、今では学生が夏休みのバイトで稼ぐ金額に追い抜かれそうだ。 週末バイトを始めるも焼け石に水、家族の絆も綻びはじめ、夫に格安スマホへの乗り換えを提案するも、 「大手じゃなきゃ嫌なんだよ。格安スマホ使ってるって、同僚に言えないだろ」

自分の状況がまるで見えていない言い訳に、週休0日で身を削る嫁のなかで何かが音を立てて崩れた。

この家族のありさまを見るに、「かつての基準」を信じ続けていれば、やがてすべてを失いかねないと思った。

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