ある地方から見た これからの日本の歩き方

地方に住む私から見た日本の現状と、
これからの歩き方の考察

これを書いているのは令和元年5月。 まずは現時点で日本がどのような状況か、巷に流れている情報からざっと俯瞰してみよう。 ここでは個人の生活に密接に関わってくるであろう経済と政治という側面にフォーカスし、それにたいして大きな影響力を持つ企業と政府の状況がどうなっているのかをわかりやすくビジュアル化してみる。

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こうして瞰てみるとなんともイケてない状況、カオスにどっぷりだ。 「人生100年時代」と言いながら「40代で早期退職・リストラ」を始めたり「年金給付水準の維持は困難」と言ったり、これはつまり「人生100年時代、ただし自己責任で」ということだと解釈できる。 そして、安全圏に居る者はますます生き残りの籠城を決め込み、その外に居る者は「前門の虎後門の狼」、もう安全地帯はどこにもないといった状況がなんとなくわかるだろう。 ただ、事実を認識しないと作戦の立てようがないので、この状況をしっかり認めた上でスタートラインに立つ。 ちなみに、どんな情報であれ自分の体験外のものは鵜呑みにせず疑ってみることが基本だと考えていて、そこには他者の、何者かの意図や思惑といったものがほぼかならず混じっているものだから、そこまでを含めて見ていくことがだいじだろう。

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現実の変化の早さに国や集団のシステムが追いついていない。
周回遅れからの諦め、放棄の連鎖が始まるのか

経団連や大企業が「終身雇用の制度疲労」をいよいよ明言し、金融庁が年金給付水準の維持は困難と見切り「自助」を呼びかけるなど、案の定、これまで見ないよう、議論しないよう、うやむやに誤魔化し続けてきていた厄介事の瓦解が一気に顕わになりつつある。 「それ見たことか。言わんこっちゃない」 と傍観したいところだが、そんなことを言っている暇があるなら、このいわゆる「もう無理」からの「丸投げ」にたいし、一日でも早くプランと行動を起こしたほうがよさそうだ。 私の経験からいえば、大体、この手のミスを責めたりリカバリーを期待する時間があるのなら、もういっそ自分でやったほうが早いと思っている。失敗者への期待はさらなる時間の無駄と失望の上塗りを繰り返す、そんなパターンを嫌というほどみてきた。

そして、こういうのは「じつは……これも無理でした。あれも無理でした」と堰を切ったように吐露が続き、この先もおそらく「ダメな報告」を聞かされるにちがいないと思っている。実務でもありがちなことだ。 だからこれを読んでいて、私と同じく自らが「安全圏外」だと自覚している方は、時間とお金と意識の最も効果的な使い方をこれまで以上に、強く意識されたほうが良いと私は思う。 「フラリーマン言うとる場合じゃなかと!」 「ネットで他人の粗探して突付いとる場合じゃなかと!」 という本当に難易度の高い未来が現時点からでは予測される。 いずれにせよ、自分の人生は基本、自分自身に委ねられているものだし赤の他人は当てにせず、ともに何か攻略法を見つけねばなるまいよ。 バイアスがかかった情報やらプロパガンダやら添加物だらけの情報だとしても、発信者の思惑はさておき、自身に役立ちそうなエッセンスがあれば抜き取り、活用していきたい。

即時性のあるプランと、中長期的プランを走らせる

危機と隣合わせの状況とはいえ、やみくもに何かをやっても意味がない。 いきなり株や不動産投資を始めろと言われて「はいそうですか」ですぐに大儲けできるなら、世の中こうはなっていない。 そこで、ちょうど時計に時針、分針、秒針があるように、プロセスが短く、短期間で効果・結果が出るような活動と、一方、指数関数的にプロセスを積み重ねていくことで効果・結果が出るようなものを組み合わせて活動をするのがいいと考えている。

たとえば、新たに勉強や訓練をしなくてもすぐに即時的に能力を発揮できる副業と、白紙の状態から知識や経験を積んでいく必要がある、後に副業となるようなことを並行して行う。 即時的に能力を使えるとなると、多くは過去経験済みか得意分野、あるいは現在行っている職能を活かしたものが思いつきやすい。 主婦の方でも、たとえば日々の家計のやりくり、その思考と実践は、すぐにでもコンテンツにできる可能性がある。 「200円でできる、やすうまレシピ - 栄養価も考えてます!」 というような状況を鑑みたメディアとして、ターゲットとマーケットを意識したコンテンツを発信すれば、「今日のランチはカルボナーラ」といったような他者にとって何の価値にもならないような雑記ブログよりも副業に成長する確率は高いだろう。

ポイントは、一般的なレベルにたいし、その分野の知識、能力、経験などが「自分は偏差値60以上はある」と自信をもって思えるところで勝負することだろうか。どんなことでもいい。 逆に失敗や頓挫しがちなパターンのひとつに「金になるらしいから」という理由で選択する場合があるけれども、個人として本当は興味関心もなければ好きでもないことをコンテンツにしても、遅かれ早かれボロが出る。 本を読まないのに書評をしたり、料理をしないのにレシピを出したり、ゲームが好きじゃないのにゲーム実況をするなどしても、かならずどの道にも玄人というものが存在するので、いつかその薄っぺらさを見透かされ、コンテンツの質の低さを見抜かれ、評価を下げ、廃れていくということになる。 なので「誰それから金になると聞いた」という動機はおすすめしない。

冒頭、現在の状況を俯瞰したとおり、もう誰もがガチの真剣バトル状態なのだから、取り組むのは「自ら真剣に向き合えること」であることが最初の条件だと私は思う。 鋼の「真剣」を相手に「竹光」では歯が立たないのだ。

儲け話に飛びついて、猿真似で生ききれる時代は終わったし、やる気もなく会社と家をピストン運行しているだけで生ききれる時代は終わった。

自分自身を経営する時代へ

生活水準を下げる、というと、ちょっとネガティブながっかり感があるかもしれない。 なのでこういう視点はどうだろう。 「親の時代には、たしかにここに橋がかかっていた。しかし、今はどうだろう。橋は老朽化して谷に落ち、違うルートを行くしかなさそうだ」 今起こっている状況は、単純に言えばこういうことだと思っている。 その別ルートのひとつが、「今までの当たり前を捨てる」ということ。 サラリーマンとしてどこかの企業に入れば定年まで、定年後も安全地帯という「当たり前」は消滅した。 三食昼寝付の有閑生活が「当たり前」の専業主婦も消滅した。 マイカーにマイホームといった「当たり前」も消滅、家族に看取られて息を引き取るという「当たり前」も消滅。 今という時代は「総入れ替えの時」なのだと腹をくくって、まずはそこに軸足を置くことではないだろうか。

日本は今、世界の第一集団(先頭グループ)からどんどん引き離されており、第二集団、油断していると第三集団へと後退していく可能性があると考えている。 プライドだけ先頭グループでは、やがて無理が祟り、息が切れ、完走すら危ういだろう。 まずは現実を直視し、遠ざかる先頭グループの背中をしっかりと眼に入れ、自らの位置をきちんと認識することが必要ではないか。 とくに高齢の世代の言葉の端々に、未だに「世界の、アジアのトップランナー」的なものが混じっていることがあるけれども、 「マラソンの中継車はもうここら映してまへんで」 と耳打ちしたくなる。

日本はかつて「高みの見物」をしていられたその「高み」からずり落ち、もうそこにはいない。 下がった分できたマージンを生活やら考え方で吸収しなければ立ち行かなくなるのは自明だろう。 ある意味、このマージンを受け入れた、水準を変えたことをネガティブにとらえ過ぎることのほうがおかしいのではないか。

「砂漠のオアシスが枯渇し小さくなったから、水の消費をそれに合わせ、次なるオアシスの発見に移動の準備を始める」 ということに、貧乏くさいとか落ちぶれたとか、そういう論理外のネガティブな感情は足を引っ張るだけだ。

生活水準を下げる状況に適応しつつ
知的基準を上げる新たな課題解決能力を獲得する

ということだと私は考えている。 ここで注意しなければいけないのは、貧して鈍してしまうことだ。 ダウナーになって投げやりになってしまえば、知的基準までも下げてしまうことになる。これはまずい。 下げるべき抑えるべきところと、上げるべき研ぎ澄ませるべきところは、常にコインの裏表のように存在する。 私も常々、自分自身をチェックしているところでもある。

P.F.ドラッカーは1999年に既に今この現代における最も重要な出来事はテクノロジーの進歩ではなく、私たちが人類史上初めて、自分自身を経営する責任を負わされることだと言った。 その言葉どおり、経営はもはや企業の課題ではなく、私たち個人の課題になっている。

打ち捨てられた層が新しいかたちのスラムを形成する。
そんなことを想定の範囲内にする世界に

冒頭の図のように、企業や政府、二大基盤が混乱して当てにならない、いよいよ機能不全に陥った時、新たな基盤として、私は打ち捨てられた層による「スラム」が発生することもありえると考えている。 これが「新しいスラム」になるのではないかと思う理由は、まずその「数」だ。 100人、1000人という規模なら弱者のマイノリティだけれども、それが10万人、100万人という規模になった時、アイスランドやキプロスといった国よりも大きな人口規模になる。 それだけの人間の集まりにおいては、ほぼあらゆるスキルと知が集積し、単なる「底辺」などではない、巨大な「社会」となりえる。 これは空想レベルの話だけれども、そこだけで独自のトークンや交換比率のルールが成立するかもしれないし、追いやられた、打ち捨てられたといったイメージからは程遠い、誰も想像しなかったような「21世紀型スラム」になるかもしれない。

どんな窮地に立たされ、どんな状況分析、どんな未来予測をしようとも、先のことなど絶対に完全にはわからないという「絶対的前提」をすべての、あらゆる考えのベースにしつつ、まずは今できることをやろうじゃないか。 一日一生の思いで、今日眠りにつく前に「今日という一日は90点以上の出来だ」とベストを尽くし続けた末、結局どうにもならなかったとしても、その人生は90点以上の上出来なのだと私は思う。

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