センメルヴェイス反射壁

この世はセンメルヴェイス反射「壁」だらけ

センメルヴェイス反射(Semmelweis reflex)は、通説にそぐわない新事実を拒絶する傾向、常識から説明できない事実を受け入れがたい傾向のことを指す。
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センメルヴェイス反射 - Wikipedia

世の中にはさまざまな「壁」が存在するものだろう。 そんな「壁」のなかでも特に理不尽な、うんざりする壁のひとつが「センメルヴェイス反射」という名の「壁」ではないだろうか。 物理的、論理的、あるいは道義的に至極まっとうなことをしたり言ったりしているにもかかわらず、通説や常識に合わないという理由で気狂い扱いされ、袋叩きに遭うようなことを「センメルヴェイス反射の壁にぶち当たる」と私はいう。 つまり「カラスは白(false)」が通説や常識なら、それを「カラスは黒(true)」と言うことは大変な艱難辛苦を招きかねないという、摩訶不思議な「壁」であり、目には映らないが地球上最大級の壁でもある。 歴史上、この「センメルヴェイス反射」によって命を絶たれた、奪われた人物はきっと膨大な数いるにちがいない。

「意義も生産性もまったくないといっていい会議など止めたほうがいいと思います」
と新入社員が口にしようものなら
「今までずっとやってきたことだからねえ。ところで君、明日からもう出社しなくていいよ」
と言われるような、そういうことである。
要するに「通説や常識を笠に着たようなハラスメント」のようなものか。

その壁に守られる「壁内」の人間にとって「壁」はすべて。
蜂の巣には背を向け、立ち去るだけでいい

蜂の巣というのは危ないものだけれども、それが自分の家の玄関の真上にあるような場合は、その存在を容認できない理由がある。 安心して生活できない。 しかし、それがもし、たまたま遠出した際の木の枝にあったとしたら、わざわざリスクをとってまで駆除しないと思う。

それと同じで、そこに「センメルヴェイス反射壁」をみたら、その壁にたいしてどういう態度をとるかを、まずはじっくり思案したい。 「センメルヴェイス反射壁」の「壁内」にいる人間も、じつはかなりの場合、自分たちをかくまうその「壁」の「真偽(true or false)」をなんとなくわかっていたりするものだ。 だから、正義感や正当性だけでもってその壁を突付いたり崩したりしても、反省して改心して壁からぞろぞろ出てきてくれるということはまずない。 「いやあ、目からウロコだよ。解放してくれてありがとう」 などとなることは絶望的に低い確率だろう。 彼らが壁内に籠もる理由のほとんどはおそらく「利」であるからだ。 だから、壁を傷付けたり崩したりするとハチの襲撃に遭うように攻撃され、対象を駆逐した後、せっせと壁の修復にとりかかるにちがいない。

正義や正当性が世の中で大した武器にならないのは、「真(true)」が何かを承知の上で「偽( false)」の壁内に「利(profit)」を目的に住んでいるというパターンが多く、正義を持ち出したところで驚くことも臆することもないからなのだ。 そして、そうした傾向の人間が占める割合はとても大きく、その勢力が「通説や常識」を決定的にしているので、通説や常識もまた「真かどうか」という基準にはならない。 こうして歴史のどこを切っても金太郎飴のように「センメルヴェイス反射壁」が出てくるということになっているのだろうと思う。

どうしても取り除かなければならない蜂の巣でないなら、さっさと背を向け、立ち去るほうが精神と時間を無駄に浪費しないで済む。 正義、真はたしかに価値あるものだろう。美しいものだ。 けれども、相当な理由がないかぎり、「センメルヴェイス反射壁」を崩し撤去するようなことはしないほうがいい。 いたずらに蜂の巣を突付いて、無数のハチの襲撃を被るだけである。 埒が明かないし、そもそも、自分以外のものに変化を求めるなど、こんな非効率なことはない。 目の前の大岩を動かそうと必死になるぐらいなら、さっさと自分が迂回した方が数万倍早い。

センメルヴェイス反射」という言葉の由来となった「センメルヴェイス・イグナーツ」自身も、存命中はその論が理解されず、不遇のまま生涯を終えた。 時を経て、現在ではその論が「真(true)」だったことが理解され、つまり数として主流になると、「院内感染予防の父」「母親たちの救い主」などと手のひらを返して称賛するという、「センメルヴェイス反射壁」とはかくも無知で大勢主義的な、二枚舌、三枚舌を常とする品のないものだと私は思っている。

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正義とは、すでに確立されたもののこと(パスカル)

人の世から「センメルヴェイス反射壁」という「壁」がなくなることは、おそらくないのではなかろうか。 ブレーズ・パスカルは『パンセ』で正義とは、すでに確立されたもののことと定義する。 各々壁の中でこしらえ、確立したもの。正義とは所詮そのようなものであると解釈するなら、正義の美名の下に行われるあらゆる運動は眉唾もので、エスカレーターでは関西は右立ち、関東は左立ちなのだという程度のものであるならば、けっしてなくなりはしない。 けっしてなくならないようなものには、なくそうなどという挑戦をせず、「いなす」にかぎる。風呂のカビを未来永劫根絶やしにしてやろうなどと考えても無駄なように。 「センメルヴェイス反射壁」というのは、もしかすると言語や人種、国境よりも強烈で厄介な見えない「壁」、否「カビ」かもしれない。

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