単発機から●発機へ乗り換え待ったなし!?副業?複業?福業? 一所懸命ならぬ「一社懸命」が心許ないのは当たり前の時代に

超弩級の強力なエンジン(企業)ならいざ知らず、
故障がけっこうな確率で「ありえる」エンジンなら、
「単発機」はちょっと遠慮したい、
というのはごく自然な生存本能ではないか

副業推進」という言葉を最近になってよく見たり聞いたりするようになったけれども、実際に私の周りで副業が盛んだというような状況はあまり確認できていないし、企業の多くは副業を推進するようなスタイルへ変化しているようにもみえない。 むしろ副業はまだまだきちんと認められていないのではないだろうか。 そういう状況をみるにつけ、こう思う。 「企業が副業にたいしていまいち良い反応を示さない理由も多々あるだろうとは思うけれども、もし、従来然とした副業を一切認めない主張をする場合、では今、どれだけの企業がかつての終身雇用のようなかたちで、人一人の人生にたいして責任を負えるのだろう。囲い込むという行為には、それ相応の責任がついてまわるのではないか」

そもそも、仕事というのは生活のためのお金を得る、というのが大半の人の目的であって、生活や財産に資さなかったり、あるいはダメージが見込まれるなら、それなりの対応なり行動をとるのが生存本能ではないだろうか。 一部を除き多くの労働現場が凋落しつつあり、国や企業がそれにたいして何の担保もできないのであれば、それこそよくいわれる「自己責任」をこの場合ポジティブに発動し、「生存権」として自らの生業を自ら持つことは何ら自然なことだと考える。 まさか、企業に勤める者は中世の武士のように「一所懸命」を美徳とすること、と強要されるわけじゃあるまいし。 それをしたところで何の見返りもない時代なのだし。

副業するにせよ複業するにせよ身はひとつ。
自動化・並行化のためにはテクノロジーは必須

副業するにせよ複業するにせよ、直接的労働によって収入を得るとしたら、同時にひとつのことしかできない。 そうなると単純に時間あたりの稼働価値しか生み出せないという制限がついてまわる。 ウィークデーを会社勤めに費やすなら、休日も同様にどこかに出社したりして「5勤を7勤」にするなどしかなくなる。 しかしこの方法では副業も複業も生業にはならない可能性が高く、さらに今後はその可能性がますます高まると思われる。 なぜかといえば、人がどんどん要らなくなっているから。 RPA(Robotic Process Automation)やAIで可能な仕事においては人間はどんどん要らなくなっているし、もっとそうなっていく。 専門性なき汗水に買い手がつかなくなっていく。どうしても「自動的」に「並行」してタスクを回せることが必要になってくる。 つまりテクノロジーは必須になる。

意外なところに副業・複業の芽があったりする。
場末のビジネスがテクノロジー投入で大化けする可能性も!?

先日、寂れた路地を歩いていて、面白い光景を目にした。 それは酒屋なんだけれども、ガラスの引き戸越しの小さな店内はただの酒屋らしからぬ様子で賑わっている。 6畳ほどのスペースに、爺さんたちが缶ビールなのか日本酒なのかを片手に、中央の「カウンターもどき」のようなスペースを取り囲むように座り、そのカウンターの中には婆さんが一人、爺さんたちの話を聞いたりしているようである。 音は聞こえないが、その光景から、婆さんは彼らの「アイドル的存在」のようだ。 勝手に「下町のマドンナ」と名づけてしまおう。 爺さんたちはCDを買う代わりにその店の酒やらつまみやら何かを買い、高嶺の花の婆さんに話を聞いてもらえる席と権利を得るということか。 その光景がまた妙にエネルギッシュで盛り上がっており、存外、これは駅前のマクドナルドより活気があるぞと見入ったものだ。

この光景を見て思った。 この「下町のマドンナ」がもし、YouTubeでチャンネルを持ったとしたら、私よりも輪郭のはっきりしたニーズを掴み、ニッチなれど強固なファン層を築き上げるかもしれない。 日本は絶賛高齢化中なので、あきらかに私よりもターゲット層は分厚いはず。 70代の下町のマドンナは、そこへテクノロジーさえ付ければ大化けする可能性がないともいえないのだ。

毎夜のごとく場末の酒屋で行われる、太陽系から見れば塵芥のようなこの宴が、やり方次第で婆さんの年金などかすんで消し飛ぶほどの収益を生む可能性がある。 やはり副業・複業においてテクノロジーは必須の道具だと思った。 今度、もう一度その酒屋へ行き、下町のマドンナ婆さんをスカウトしてみようか。
「婆さんよ。今からでも遅くはない。アイドルを目指してみないか?」

ネットやデジタルコンテンツの畑に副業・複業の種を蒔く。
さらにそれが個人的な楽しみの欠片ともなれば、福業としての幸福効果も

国内では今、早期退職が45歳にまで下がってきている。 国も企業もあてにならないのだから、必然、もう個人のサバイバル能力がものを言う時代に入っていると実感する人も多いと思う。 最近よく目にする「コミュニティ」というものも、依存の対象としてそれを見ている人間はおそらく、これからのコミュニティには入れない、馴染めないだろう。 どういうかたちであれ、何らかの価値を生み出すパフォーマンスをもっていなければ、もう本性を現した資本主義末期の時代は生き残れないような感じがひしひしとする。

大きな富を持たざる者は、元手が小さく済むデジタル次元で何らかをコンテンツの種として蒔くか、あるいは現実の地に種を蒔いて自給自足率を上げていくなどしておくほうが良いだろうと考える。 私自身、生業となる、インカムとなるようなものを小さくともこれから増やしていく、そのための知識や勉強は怠れない。 先の見えない真っ暗な夜道であっても、ただ彷徨うのではなく、自分にとって少しでも幸せを感じられる道を、種を蒔きながら彷徨うことが、きっと良いのだろう。そう考えている。

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ひとつの企業から月に30万のインカムを得るよりも、10万を3方向から、あるいは3万を10方向から得るほうがサバイバル偏差値が高いという状況は、今後しばらく加速、続くだろうと感じている。 複数のエンジンのいくつかが停止しても飛行が可能な「●発機が当たり前」というスタンダードへシフト中の時代なのかもしれない。

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