ロックインの矢

ロックインとは

ロックイン(lock-in)」という言葉がある。
この世知辛い時世を生き抜くにおいて、知らないよりは知っておいたほうが良い、ある意味「甘い罠の種類」のようなものでもある。 「ロッキン」ならどこか「ロックンロール」な感じがして良いのだけれど、ここで語る「ロックイン」とはそんな生易しいものではない。

現在あるものをやめて、同じ種類の別のものに切り替えるのに必要なお金・時間・手間等のことをスイッチングコスト(switching cost)といい、これが現状より高まると切り替えが困難になるが、この状態を「ロックイン(lock-in)」という。 スイッチングコストの意味は幅広く、先述のお金・時間・手間以外には、たとえば心理的な「義理」「不安」「恐れ」などを指す場合もある。 一言で言ってしまえば「縛り」だ。 「囲い込み」という似たような言葉もある。 「キミのハートにロックオン」ならまだときめきの欠片があるが、「キミのハートをロックイン」というのには何のときめきも芽生えることはないだろう。

現在、多くの人が何かしらにロックインされていると思う。 なぜなら、ロックインは今をときめくトレンドだからだ。 おそらく、現代文明を生きる人々が最も多くはまっている罠のひとつがロックインではないかと思う。 携帯電話の2年縛りぐらいならまだかわいいものだ。 ロックイン就職、ロックイン保険、ロックインローン、ロックイン家賃、ロックイン結婚、ロックインetc. 挙げたらきりがない。

諸行無常、万物は常に変化し続ける存在であるにもかかわらず、このロックインというシステムは「変わることをそうやすやすと許さない」という「笑顔の脅迫」めいたものだと思うのは私だけだろうか。 人生において、状況や考えが日々変化するのは当然であり自然なこと。 その変化に際し、対応させない、しにくくする「縛り」というのは、つまり人生をより不自由にするものだろう。 川の流れ、風の流れを無理やり止めてしまうようなものではないだろうか。 そうなると「淀む」ことは避けられない。 元気がなくなることは避けられないのではないだろうか。

ロックインとはつまり
刺さっても抜かない選択を選ばざるをえない矢のようなもの

ロックインは単純な一本の矢のようで、じつは無血で人生丸ごと侵食してくるような狡猾な側面もある。 その構造は「無痛もしくは快楽や期待を伴って突き刺さり、引き抜く事は(スイッチングコストで)多大なダメージを与える」よう設計されており、これがひとたび刺さろうものなら「もう刺さったままでいいや」と思わせるだけの心理的制圧力も兼ね備えている。

その結果、本心ではもうやめたい、変えたいと思っていても、多大なダメージを恐れるあまり、あるいは面倒くささから、不満を抱きつつも現状を受け入れてしまう。妥協してしまう。 そのフラストレーションがじわじわと毒のようにまわり、さらにその矢を2本、3本と受ければもう全身に毒がまわり、自由意志を半ば麻痺させられたような「畜化」へと進んでしまう。

イメージ

世知辛い世の中を少しでも楽に歩くために、
ロックインの矢の前に極力立たないこと

ロックインの矢はなにも死角から飛んでくるのではない。 大抵の場合、それはとても魅力的に見えて、相手から射程圏内に飛び込んでくるように配置されている。 そして刺さった瞬間は無痛どころか、矢を受けて狂喜乱舞する者もいるほど「入り口はスウィート」に出来ている。 このスウィートな罠をかわすには、知識とリサーチ、冷静さ、そして直感力を総動員せねばならないだろう。 そして、その匂いがしたなら、胸を張って全力で逃げること。 「君子ロックインの矢に近寄らず」 とはよく言ったものだ。 昔の人はロックインのややこしさ、厄介さを充分に理解していたのだろう。

ロックインされないために、日々心掛けたいこと

思うに、「周りが、皆が、そうしているから」という「流行」や「普通」に影響されやすい人、あるいは「恐れる気持ちが強い石橋を叩き過ぎるような人」は「矢」に狙い撃ちされる可能性が高い。 というのも、ロックインの矢はなにも「鏃(やじり)」をむき出しにして現れない。 ほぼかならず、矢は「流行」や「人気」、「安心」や「安定」といったものでラッピングされて人前に現れる。 誰しも求めがちな、多くの人が選択しがちな心境に上手く訴求してくる。 矢だけに大きな的を好むというわけだ。 そして数撃って当てて、大きな見返りを狙っている。

はやる気持ちから「出口のことを考えず入り口をくぐる」ともう射程圏内。 放たれればまず当たる。そして当たったらまず抜けない。 そうならないためには、ラッピングをむいて、解剖して、中身をよく知ること。 そして何より、自分自身の「鋼の軸」をもつこと。 美しかったり、可愛かったり、カッコよかったり、クールだったりするラッピングをいざ開けたら、中身はドス黒かったというのでは洒落にならない。

何かの契約、就職や結婚、あるいは日常よくある約束の「出口確認」は「退路確保」といってもいい。 始まりの期待感やテンションの最高潮でその真逆を眺めるというのはしたくないかもしれないが、物事はかならず変化する。 会者定離、始まるものは、かならず終わるものだ。 「退路を笑うものは退路に泣く」 というのは私が人生を通じて知った法則のようなものである。 会社を辞める時、離婚した場合、約束が反故になっても、自分の身が抜け出られる出口、退路の確保ができるなら、ロックインされることはないだろうと考える。

入り口と出口はかならず対で見る。 口はゾウなのに肛門がネズミだなんてのは道理がおかしい。 そして、入り口は広々として風通しも良いが、どうも出口は蟻の這い出る隙もなさそうだと読めたならしめたもの。 どんなに美辞麗句を並べ立てられても 「だが断る」 と鮮やかに言い放とう。

遠回りは、嫌いです。近道は、もっと嫌いです

とは「キリン クラシックラガービールのCM」での高倉健さんのセリフだけれども、何でもかんでも片っ端から面倒くさがらず、その時の気分に振り回されず、手間や不便も楽しめる心の余裕、自分自身の中心に軸を持った態度が、囲い込もう、ロックインしようと前のめりになっている者からすると、一番面倒くさい、ロックインしにくい人間なのかもしれない。

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