悉を観る

フラクタルな創造のランドスケープ

「歴史は繰り返す」とはよく使われる言葉だけれど、歴史に限らず物事は何がしかの「パターン」になっていることが多い。 小さな「原子」のありさまと、大きな「星系」のありさまは、紙に同じスケールで描かれるとどちらも同じに見える。 パターン(pattern)には「型」という意味があるけれども、その概念はカタチあるものに限らない。 「規則」「様式」「体系」「秩序」といったように、カタチのないものにも「型」がある。

この「パターン」を「見切る」ことができると、何かと役に立つ。その物事を予測したり利用したり、使いみちはいくらでもある。 「おまえの動きはすでに見切った」と言われたら、もう負けたも同然である。 「あなたの思考パターンなんて見え見え」と言われたら、もうぐうの音も出ない。 そしてこの「パターン」は大自然も持っている。 そのパターンのひとつは「フラクタル」だ。 では「フラクタル」を分かりやすく描いてみる。

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三角形の集まりが大きな三角形になり、さらにその大きな三角形の集まりがもっと大きな三角形になり...とどこまでも同じ「パターン」で広がっていくと同時に、 小さな三角形はより小さな三角形の集まりで出来ていて、その小さな三角形はもっと小さな三角形の集まりで出来ている...という、寄っても引いてもどこまでも同じパターン。 これがフラクタル。 大自然もこのパターンを持っており、このことからも 「ワンパターンなやつだ」 と言われたとしても何も恥じ入ることはない、ということが分かる。 胸を張って、ワンパターンな自分を誇ろうじゃないか。

「小さな成功を積み重ねる」というのは、
フラクタル的に正論かもしれない

「小さな成功を積み重ねる」ということが重要なのは、フラクタル的にも一理ある。 「ローマは一日にして成らず」という言葉もそう、これはフラクタル的に言えば「小ローマをいくつも積み重ねて出来たものがローマ帝国の繁栄だ」といえるのではないか。 実際、ローマは帝国の完成までに約700年もの時間をかけたのだ。

「悉(しつ)」とは「すべて」「ことごとく」という意味がある。 「悉有仏性(しつうぶっしょう)」 とは「遍くすべてのものが仏の素質をもつ、仏の顕れである」ということであり、これもある意味フラクタル的にとらえることができる。 想像のピントを寄せたり、引いたりすることによって、自分が今、していること、思っていることがフラクタルのどの部分なのかがなんとなくみえてきたら、 それはけっして「小さなこと」「何の価値も意味もないこと」と軽んじることはできなくなってくる。 それは大いなる「悉」の一部であろうことがフラクタルな想像からみてとれるからだ。 上の図のどの三角形が欠けてもすべてのバランスが保てなくなるように、 自分が納得できる「成功人生」は「発する一言、発する一思」から始めるべきなのだろう。 そう考えると「パンツの裾上げに成功すること」はかなり中規模な成功体験なのだ。 シャンパンを開け、盛大に祝おうではないか。

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